ヨコトビ、キノウ

ジブンのために、ダレカのために、ササイなことでも。

再び静脈瘤破裂 最初の治療編

前回の続き。

SBチューブを挿入されて朦朧としたまま、考えていたのは「早く治療してほしい…」ということだった。なので、意識が戻るといつも「まだ?」「いつごろやるって?」と聞いてばかり。結局治療が始まったのが、翌日の夕方だった。

意識が途切れ途切れのなか、気がついたらいつもEISをやる部屋だった。やたらと騒がしい中、ようやくSBチューブを抜いてもらい処置開始。気がついたのは病室だった。これは朦朧というより、EISやEVLをやるときに静脈に打たれる薬の影響だろう。そのおかげで処置中はまるで意識がなく、終わってもほとんど寝っぱなしになれる、ある意味とてもありがたいものだ。普段の生活で眠れないとき、あの薬打たれて泥のように眠りたい、なんて思うこともしばしば。

結局そのまま寝てしまい、翌日からはSBチューブもなくいろいろなモニタも次第に外れて、いつもの入院生活に近づいたかたちに。そんなころ、担当のT先生が説明に来てくれた。結局静脈瘤は胃の入り口あたりに出来ており、場所的にEVLが難しかったこと、EISを緊急でやるわけにはいかなかったこと等。そして今後の経過観察について。

この時点では退院のたの字もなかったけど、ほっとしていたせいか、また甘い考えが浮かんでいた。出血箇所の処置もできたし今後はいつものとおりだろう、前より状態は悪いだろうから期間は延びるだろうけど、退院は3週間~4週間後じゃないかな、なんて。その甘さはまた次回以降に書くとして…。

ここで、EISについて個人的な事情に触れておこう。まず、T先生が置いていったEISの報告書(?)みたいなものを読んでいって気がついたのだけど、やたらと医師の立ち会いが多かった。M先生やT先生、S先生に他の知らない先生、それと多くの研修医。これにはわけがあって、以前静脈瘤の予防治療で入院したとき(担当はM先生)、処置中に大暴れしたらしく、実際にEISを行った先生達にひどく迷惑をかけたことがあった。それをおぼえているM先生が、暴れても抑えられるだけの人数を集めたんだと思う。実際、EIS後にうっすらと腕に強く握られた跡が残っていた。

ちなみに「大暴れしたらしく」と書いたのは、記憶が当人にないから。M先生から「EISを担当してくれた先生が、寿命が縮んだって言ってた…」なんて聞かされたものだから、あとでその先生にお詫びしたら「え、おぼえてるの!?」「いえいえまったく記憶にないです」「そうだよね。そんな、全然気にしなくていいですよ、薬のせいだからね」、なんて。

まぁ余談はこれまで。その後はゆっくりながら回復していき、退院も時間の問題と思い始めた頃、また新たな苦痛の道に踏み込んでいくことになったのです。

そして第二の治療編に続く。