ヨコトビ、キノウ

ジブンのために、ダレカのために、ササイなことでも。

再び静脈瘤破裂 第一の苦痛編

前回の続き。

とうとう病室へ到着。先生たちは一度部屋を出た。

その後いろいろ準備を始めた看護士さん(主担当)に、もう一度さっきの質問をぶつけてみた。「SBチューブってつらいですか?」「…うーん、ちょっとつらいと思います」。せめてせめて、「中には平気な人もいますよ」くらいの希望が欲しかった…。

再びM先生と、担当医師になることになるT先生が戻り、いよいよSBチューブの挿入。まず鼻に太めのチューブを通す。そしてその中に細いチューブをかなりの長さ挿入し、吊り下げる?構造はいまいち分からないが、細いチューブが胃の中で膨らみそれを釣り上げて出血箇所を圧迫しているのか。何はともあれ、喉と鼻の穴の縁にかなりの圧力がかかりとてもつらい。

そのまま鼠径部に麻酔を打たれ、CV(中心静脈)に点滴。そして尿道カテーテルをされ、オムツ生活。胸には心電図か何かのセンサー、左手の指にサチュレーションモニタ、右腕には定期的に自動で計られる血圧計、ベッドの横には(自分では見えないけど)それらの情報のモニタが置かれていた。

その処置中、姉と母は別の場所でM先生から状態の説明と、今後治療に必要となる同意書を書いていた。あとで知ったのだけど、その中には「拘束についての同意書」もあったようだ。患者本人が暴れたりした場合手足を拘束しても良いですか、というもの。うーん、複雑な心境だ。

姉と母が部屋に戻った頃には身の回りのことは終わり、姉がナースコールをすぐ押せるように手元に置いてくれたとたん押す私。看護士さん「どうかしましたか?」姉と母「え?押してないですよ」「いや押したよ」。看護士さんがすぐ来てくれたので、つらさを訴える。「これ(SBチューブ)、かなりつらいんですけどなんとかなりませんか?」「いやぁ~、どうしようもないですね」「どうしようもない…」「じゃあ、少し楽にする薬があるんで、先生に使っていいか聞いてみますね」。ありがたい。

その後その薬を使ったのだけど、正直楽になったのかどうかわからないwその後は苦痛から逃避していたのか、悪い状況に陥ってしまったのか、苦しみつつ意識があまりはっきりしない状態になっていった。

翌日父や義理の兄が来てくれたようだが、正直ほとんど覚えていない。

ただし、はっきり覚えていることがひとつある。今回の入院はよほど状態が悪かったのか、ナースステーションにかなり近い個室にいれられ、1日の差額ベッド代は16,800円だった。ある意味当然だ。上記のようにいろいろモニタをつけられ、何かあればすぐ来れる場所でなければならないからだ。それを知った父が看護士さんに言ったこと。

「大部屋には移れないんですか?」

すぐさま母と姉に「まったく何言ってるの!こんな状況で大部屋なんか行けるわけないでしょ!」と総攻撃を受けていた。これが父の今回最高の迷言だ。

そして最初の治療編に続く。