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ヨコトビ、キノウ

ジブンのために、ダレカのために、ササイなことでも。

病人を見守る人

親族から「心配だ~心配して何が悪い~胃が痛い~」とか言われたことを受けて、じゃあ病人かつ見守る側でもある立場から、今まで自分はどうしていたのかを振り返って考えてみた。

個人的には、常に調べて予期して、そばにいることが唯一の出来る事だったと思う。

従弟の結婚相手が難病に冒された時。迂闊に病名を聞くことも出来なかったけど、たまたまお見舞いに行った時の点滴から何が疑われているのか分かったので、その病気を調べた。その病気は脳にまつわるもので予後不良であったけど、セカンドオピニオンを受けられる病院を調べたり、いわゆるTVでその分野の名医とされる医師の情報を調べて、その病気の治療実績がある人がいないかを探したり。結局最終的な病名はさらに悪いもので、従弟やその家族のそばにいることしか出来ず、無力感に襲われたけれど…。

叔父が心筋梗塞になった時。母と一緒に叔父の所に向かい、救急車を呼んだり緊急治療からICUに入るまで付き添った。義叔母の希望で医師の説明も受けたけれど、特別出来ることはなかった。出来たのは叔父や叔父家族の近くで簡単な相談を受けたり、術後の副作用(浮腫とか)を心配ないよと励ましたりしたことだけ。

伯父が間質性肺炎になった時。少し調べたらもう予後はあまり良くないことが分かったので、出来たのはやはりそばにいることだけだった。それこそ尿瓶をあてがったり、着替えを助けたりくらい。ただ、母にとっては実の兄(上の叔父も実の弟)なので、今後どうなっていくことが考えられるかは母にだけ伝えた。伯父や義伯母はとても感謝してくれているのが唯一の救い。

 

結局見守る側が出来ることなんてろくにない。本当に近くにいて見守る事だけ。ただ、見守る側が「心配だ」なんて言ってはいけない。一番辛いのは本人だ。そして、誰よりも心配してるのも本人自身だ。見守る側は所詮苦痛も感じない他人事だ(家族であっても)。だからこそ、病人よりも気を強く持って、病人以上に病気に対峙してそばにいることが唯一出来ることなんだと思う。