ヨコトビ、キノウ

ジブンのために、ダレカのために、ササイなことでも。

移植に向けて前進

また間を埋めるために過去の記憶を掘り起こして書いてみる。

 

入院して腹水は多少落ち着いたけど、生活の状況をどうにかしたくて、とうとう移植について現実的に考えようと決めました。

以前、いずれ移植が必要になるだろうから、移植コーディネーターの話を聞いてみては?と勧められていたので、主治医に改めて申し込み、家族全員で話を聞く機会を作ってもらいました。

詳しい話を聞いた後家族の意向を確認した結果、脳死肝移植のみを選択することに。知らなかったけど、脳死肝移植が可能な病院は限られていて、普段かかっている大学病院では行えず、家から一番近いところで東京都内の病院のみ。そこで、土地勘もあるし、一番近いし、うちの犬も入院・手術をしたある某大学病院に紹介してもらうことになりました。

実は脳死肝移植では、正直まだ登録は早いんじゃないかと思っていたのですが、移植コーディネーターの方に、具合が悪くなってからだと移動だけでも大変だし、とにかく行動したほうがいいと説明され、さらに外来予約までやってもらってしまいました。でもそのおかげでふんぎりがついて実際に前に進むことができたので感謝です。

そして某大学病院での外来。あらためて生体と比べて脳死が不利な事を伝えられ、生体の可能性をもう一度検討するように言われましたが、もう家族で決めた事。その結果、臓器移植ネットワークへの登録をするためのデータ収集、及び移植の適応状態なのか、そもそも移植が出来る状態なのかを調べるため、その病院に検査入院する事が決まったのです。

腹水コントロールのための入院のこと

間を埋めるために、過去に振り返って書いてみる。

 

そう、腹水コントロールのために入院したんだっけ。

結局 TIPS は行わず、サムスカ投薬開始のための入院でした。期間は2週間くらい。ただ、その入院中に新しいことが分かりました。

「門脈圧亢進症が進んでいるけれど、その原因となるものがあるかもしれないので造影CT撮らせてください」

「はいはい、お願いしますー。あ、前回の造影CTでアレルギー反応起こしましたよー」

「え…それはやりたくないな…。やめますか…」

「やりましょうよ、何か原因が分かるかもしれないし、入院中にも出来ないとなるともう造影CTは実質出来なくなっちゃうじゃないですか」

「…そうですね、入院中なら対策もとれますし、やりましょうか…」

てことで造影CTをやった結果、門脈周りの血管に血栓が出来ていることが判明し(門脈血栓症)、ワーファリンの服用を始めたのでした。

 

実はこの判断、この1年近く後にメチャクチャ重要だったりします…。ほんっとーに無理を言って造影CTやってもらってよかった!!

 

で、問題なく退院したのだけれど、次第に自分の中で普通の暮らしがしたい、やりたいことを出来るような身体を取り戻したいという思いが膨らみ始めたのです…。

腹水憎悪と入院の話

久しぶりに書く。

 

腹水がものすごくなってきた。お腹はパンパンで青い静脈が浮き出ており、へそも飛び出している。塩分制限はちゃんとやっているつもりだが、利尿剤を増やしても一時的に改善はするものの、すぐ効果がなくなる次第。

というわけで、毎日膨満感と腹痛で苦しみ、仕事と食事以外は横になっている有様です。

主治医はから「仕事してるんだっけ?これ以上外来で利尿剤を増やすわけにもいかないし、とにかくもう安静にするしかない。いろいろな都合で仕事を休む事は難しいだろうし、無理に休めとも言えないけれど、せめて半休にするとか…。必要であればいくらでも診断書書くから、なるたけ安静にするしかないね」と言われてはや一ヶ月。

小規模の会社なので急に不在になることもできず、早退を繰り返しつつだましだましやってきて、GWはずっと安静にしていたけれど、それでも改善しないままでした。

そしてGW開けの診察。

「GWはずっと安静にしてましたが、良くはなってないです…。おまけにほぼ毎日腹痛がありました」と伝えたら、「うーん、前にも言ったけど、入院する?入院となれば環境も変わるし、新しい薬や治療も出来るから、その方が良いんじゃないかな。強制はできないけれど」と言われ、「はい、正直もう自宅では厳しいですし、いつまでもこの状態でいることもできないのでお願いします」という事になりました。

 

とりあえず腹水の原因は、よくある低アルブミン血症ではなく、単純(?)に門脈圧亢進症の影響のようです。実際、アルブミンはどんなに低い時でも 3.1 以上はあるので。ということで、入院して治療することが決定しました。

とは言っても、治療方法は先生方で相談するようです。サムスカ(トルバプタン)という比較的新しい利尿剤(服用開始は入院して経過観察しなければならない)を使用するのか、TIPS(経頸静脈肝内門脈体循環シャント術)を行うか、という所。

TIPSだと以前やった経頸静脈肝生検の時の辛さをまた味わうのか…。

 

ということで、毎度毎度の入院が決定しました。なんだかんだで年1ペースだなぁ。今のところ静脈瘤は問題ないのがありがたいけれど。TIPSについては後でまた細かく書くかもしれない。

病人を見守る人

親族から「心配だ~心配して何が悪い~胃が痛い~」とか言われたことを受けて、じゃあ病人かつ見守る側でもある立場から、今まで自分はどうしていたのかを振り返って考えてみた。

個人的には、常に調べて予期して、そばにいることが唯一の出来る事だったと思う。

従弟の結婚相手が難病に冒された時。迂闊に病名を聞くことも出来なかったけど、たまたまお見舞いに行った時の点滴から何が疑われているのか分かったので、その病気を調べた。その病気は脳にまつわるもので予後不良であったけど、セカンドオピニオンを受けられる病院を調べたり、いわゆるTVでその分野の名医とされる医師の情報を調べて、その病気の治療実績がある人がいないかを探したり。結局最終的な病名はさらに悪いもので、従弟やその家族のそばにいることしか出来ず、無力感に襲われたけれど…。

叔父が心筋梗塞になった時。母と一緒に叔父の所に向かい、救急車を呼んだり緊急治療からICUに入るまで付き添った。義叔母の希望で医師の説明も受けたけれど、特別出来ることはなかった。出来たのは叔父や叔父家族の近くで簡単な相談を受けたり、術後の副作用(浮腫とか)を心配ないよと励ましたりしたことだけ。

伯父が間質性肺炎になった時。少し調べたらもう予後はあまり良くないことが分かったので、出来たのはやはりそばにいることだけだった。それこそ尿瓶をあてがったり、着替えを助けたりくらい。ただ、母にとっては実の兄(上の叔父も実の弟)なので、今後どうなっていくことが考えられるかは母にだけ伝えた。伯父や義伯母はとても感謝してくれているのが唯一の救い。

 

結局見守る側が出来ることなんてろくにない。本当に近くにいて見守る事だけ。ただ、見守る側が「心配だ」なんて言ってはいけない。一番辛いのは本人だ。そして、誰よりも心配してるのも本人自身だ。見守る側は所詮苦痛も感じない他人事だ(家族であっても)。だからこそ、病人よりも気を強く持って、病人以上に病気に対峙してそばにいることが唯一出来ることなんだと思う。

今年の体調の変化と入院の事

だいぶ間が開いた…。めんどくさい、もうなかったことにしようとか考えたけど、ざっと今年のこれまでを書いてみる。

 

今年の4月頃から食欲が減り、微妙に体重が増えていく日々が続いていました。
血液検査でもアルブミンが徐々に下がっていき、7月中旬にはお腹が苦しくて食欲が一気に減り、さらに体重が過去の腹水のピーク時近くまで増加。たまたま7月末に静脈瘤の治療入院が決まったので、事前に追加の利尿剤(ダイアート)を処方してもらい、中旬から入院前日までの2週間程度で体重を5キロ程落とすことができました。

これ、利尿剤の効果もあるけど、それ以上に自主的に塩分制限を掛けたことが良かったのだと思います。入院が目の前だったので、深く考えずに1日1g程度の過剰な塩分制限を実行。その証拠に、入院してから体重増えたもの。

で、入院。

主治医はまだ治療しなくてもいいんじゃ?と前回同様言ってくれたのだけど、仕事のスケジュールを考え、盆前に退院したいことを伝え、なんとか予定を入れてもらいました。もっとも静脈瘤の大きさ的に EIS の適応じゃなく、EVL による治療になってしまったのだけど。

で、治療後のお話。EVL ってあんな辛かったっけ?もちろん治療中は意識もないし、EIS のような苦痛も感じなかったけど、治療後が結構きつかった。とんでもなくひどい胸焼けを感じて、ずっと顰め面をしていました。ただ母や姉に心配かけまいと思い、顰め面+口を歪めて田中邦衛のモノマネをしてました。「子供がまだ食ってる途中でしょうが」とか。母は果たして「なんかふざけてる」としか思ってなかったそうです。

その後は表向きは順調に回復していましたが、流動食が辛かった。全部汁物だもの。しかも結構塩分濃いんだもの。毎日体重に一喜一憂してました。

結局10日で退院しました。本当は正直な所、結構体が辛かった。食事後はしばらく横にならないと動けなかったし、今までは昼間に横になることはなかったけど、今回は横になっている事のほうが長かった。こういう所が意外と自分では気になって、やっぱり悪くなってるんだなぁと考えてました。

退院後も、1週間ほどはその辛さを引きずってました。退院当日、別の病院に入院中の伯父を見舞う予定でしたが、車で家に帰っただけで立ってられなくなるほどの辛さ。その後も食事をすると起きてられないほど胸とお腹と体がだるい状態。

ここ数日はようやく良くなってきましたが、来週から仕事復帰すると考えるととても憂鬱で、いつまで体は持つんだろうかなんて暗澹たる気持ちになってしまいます。

 

まぁしょうがないよね、肝硬変だと診断されてもう10年以上経ってるんだし。

ある家系に見る偶然の連続、あるいはいかにして病人が病人を見舞うか

9月末からどうもおかしなことに病気・怪我に事欠かない日々です。

9月末に父が倒れ(出血性胃潰瘍)、11月頭に従妹の長男が小学校で骨折、その月半ばに私が入院、今月頭に叔父が心筋梗塞で緊急搬送、今月半ば(来週)に伯父が肺の疾患でしばらく検査入院。

お祓いしたほうが…とか、何かの祟じゃないか…なんて思ったりは微塵もないけど、それでもなかなかの連鎖っぷり。単純にうちの家系が地理的にも心情的にも近いところに集まっているだけでしょうが。

で、昔から私の通院・入院をサポートし続けていた母が頼りにされており、その母を心配する私も何かとそういう場所・タイミングにいることが多い日々です。

叔父の時は救急車を呼ぶ前から叔父の家に二人でかけつけ、母が救急車呼ぶように言い、私が熱と血圧を測り、異常が発覚した伯父からは私宛に「白血球が高いと言われたけれどどういう病気が考えられる?」などと疑問を投げかけられ。医者じゃないもんそんなのわかるわけないさーーー。「う~ん、数値とか他の値が分からないから…。とりあえず一般的には炎症があると白血球あがるよね。それにやや遅れてCRPが上がってくるんだけど…」としか答えられない。

本当はもっと違う形でサポートしたかったんだけど。「***の治療?静脈麻酔してもらえるから、大丈夫、辛くないよ」とか「去年やった***よりはちょっと辛いかな…。でもさ、人はだいたい年をとればとるほど鈍感になるからさ、俺が出来たんだから大丈夫だよ」みたいな感じで。

だからこそ、お見舞いには何度も行ってあげたい。会社の同僚達は「そんな辛い時期に見舞いが来たら迷惑だな~」とか言うけれど、個人的にはそういう時こそ来て欲しい。そして苦痛に耐えるのを邪魔しないようジッと様子を確認してもらい、必要な分だけ支えてほしい。

その分、私は伯父さんと叔父さんのお見舞いに行く。元気になるまでは可能な限り行くのでしょう。

 

 

退院しました - 静脈瘤治療

今日退院しました。

まぁまぁ短かったんではないでしょうか。本当はもっと早く退院できたのだけど、退院が見えてくると熱が出るという不治の病のせいで遅くなりましたが。

 

やったことメモ。

初日に定番の採血・心電図・レントゲン。血小板輸血→治療。あとは適宜採血。以上。

今回、外来の担当の先生が「もう少し様子見ても…」と言うのを押し切って(言い過ぎ)治療に入ったわけですが、そのせいか治療対象の静脈瘤及びその血管が細かったようで、治療中に痛みで麻酔(?)からさめてしまいました。

とにかく喉と胸の苦痛が辛く、恐らく内視鏡のオーバーチューブとか喉に入ってたと思いますけど、治療担当の先生と看護師さんに「ふぎぃ~ふぁ~い~!(い~た~い~!)」とアピールしてしまいました。先生と看護師さんは「!?あれっ?喋ってる?」とびっくりしたものの、すぐ「今また薬追加しますからね」との返事を。そしてそのまま再びブラックアウト…。次の記憶は病室のベッドに移動するところからです。

あとは回復するだけ。今回ちょっと意外だったのが、点滴が取れるタイミング。今までは治療後少しおいてから重湯→三分粥→五分粥くらいの時点で取れていたのに、今回は重湯のタイミングで取れました。まぁ早いに越したことはないけれど。ただそのせいで、重湯の食事(?)に一緒に高蛋白飲料というのが付いてきて(カロリー等を補うため)、それが美味しくなかった。でもそれも一時的なものだけど。

そんなこんなの入院生活でした。去年お世話になった看護師さんの何人かには今年も担当してもらい、去年のお礼を言う事も出来たし。

 

さて、次は再来年くらいかなぁ。