ヨコトビ、キノウ

ジブンのために、ダレカのために、ササイなことでも。

再び静脈瘤破裂 第二の苦痛編

前回の続き。

病室に戻ってもPSE後の苦痛に悶絶していました。「お腹痛い…気持ち悪い…」の連呼です。その日の担当だった馴染みの看護師Iさんが、痛み止めの点滴を落としてくれたのですが、まったく効かない。夕食が出ても何も食べられず、りんごを少しかじったくらい。

その後様子を見に来てくれたT先生(とH先生)は、「平気な人は全然平気なんですけどね…」「とにかく何でもいいので食べてください」とのこと。その場にいた母が、「プリンとかでもいんですか?」と聞いても、それでもいいんで食べてください、とのことなので、母はまんまプリンを買って来ました。看護師のIさんも、「何でもいいから…」というので、「じゃぁ人の肉を」なんて、苦しみながらでもつまらない冗談が出るものでして…。でも結局、プリンもスプーン一杯しか食べられませんでした。

その後、Iさんが再び痛み止めの点滴を落としてくれたので、「あれ?こんな短い間隔で大丈夫なの?」と聞くと「前のがあまり効かないので、これは別のお薬。だから大丈夫」とのこと。この2種類目の痛み止めのおかげで多少楽になり、痛みは感じつつも何とか眠ることができました。さらに翌朝もう一度使い、これで痛みは一段落しました。

その数日後、大部屋(といっても4人部屋)に移動です。ここまで、2週間くらいだったでしょうか。さすがにここまで個室に慣れると、他の人がいる部屋での生活は少し気が重かったりしましたが。

そして大部屋に移ってから数日が経ったところで再び痛みが再発…。最初は笑いすぎかと思ったけれど、どんどん痛みが増していき、ある日の夕方なんてサチュレーションが低くて酸素吸入までするハメになりました。あ、なんでサチュレーションが下がったかというと、あまりにお腹が痛くてあまり呼吸ができてなかったみたいです。そして酸素吸入、それは初めてのこと。なんとなく辛そうなイメージを持っていました。看護師さんが「鼻からにします?口からにします?」と聞くので、「どちらが楽ですか?」「鼻のほうかなぁ」というので鼻から吸入。ん?別に何も辛くないじゃん。でもサチュレーションが上がらない。そういえば鼻が詰まってる!!wその後口からにしてもらい、サチュレーションは改善したのですがw

でもその晩担当の看護師さんには本当に優しくしてもらいました(みんな優しいけどね!)。時々来ては体を横向きにしてくれたり、体を起こして水を飲ませてくれたり。まったく感謝です。

翌朝の朝食は、ほとんど食べられませんでした。まず、痛くて体が起こせない。看護師さんに起こしてもらっても、食欲がまるでない。そのため、また痛み止めを落としてもらいつつ、CTを撮ることになりました。結果、胸膜炎を起こしているかもしれないとのこと。ただこの診断は数日後改められ、脾腫がすすんでいたため、塞栓の影響が二重に遅れて出てきたのだろうということで落ち着きました。

ちなみにこの痛み止めの薬について。この薬が入ると、幻覚なのか単なるイメージなのか、不思議な光景が広がります。それは、マッシュルームのような白いキノコが大小様々にポコポコポコポコ辺り一面に生えてくるというもの。やがて辺り一面が白く覆われる頃には、痛みが治まってきて眠りに落ちるのです。これは何なんでしょう。以前PSEについて調べたとき、痛みが酷いとモルヒネを使うというのを見たことがあるんですが、あの薬はモルヒネだったんでしょうか。

その後、痛みは多少落ち着き、ロキソニンでコントロールできるようになりましたが、さらに別の問題が発生。腹水です。

長くなってしまったので、また次回に続く!!

再び静脈瘤破裂 PSE編

前回の続き。

いよいよPSE(と肝生検)の開始です。先生たちは作業を進めながら細かい会話を。「CTの予約は念のため2回分とっておいた」「なんでこういう形状にしちゃったのかなぁ」(多分カテーテルのこと)とかね。

で、左腕から挿入です。よくドラマの手術シーンとかで使われる、作業部が丸く穴開いている濃い緑の布のようなものをかぶせ、消毒そして麻酔。そしていじられる感覚。カテーテルを挿入してる模様。左腕からの挿入が一段落ついた後に、今度は首の右側からです。またしても緑の布をかけられ、視界が遮られます。そして消毒、麻酔。う、首のほうが痛い気がするぞ。「痛いです…」「痛い?じゃ麻酔追加するね」。麻酔してもらっても、カテーテルをぐいぐい挿入してるとひっかかったような感覚で相変わらず痛い。「まだ痛いですね…」「うーん、こっちはちょっと痛み消えないかな」。ぐぇ。でもこんなのは序の口だったのでした。

ところで、首からのカテーテルをいれる前か後にCTを取りに行きました。前だった気はするんだけど。それが一苦労(スタッフさんたちにとって)。左腕の動脈にカテーテルが入ったまま、まずストレッチャーへ→近くのCT室へ移動→CTの台(ベッド)へ→撮影完了→再びストレッチャー→血管造影の部屋へ。まぁ移動は寝てるだけで皆さんががんばって運んでくれるからいいけど、ストレッチャーに乗り降りする時に「左腕曲げないでね」とか言われても。曲げなきゃいいの?カテーテル入ってるけど二の腕に力入れて腕ごと動かしてもいいの?と不安になりました。

さて、PSE(と肝生検)に戻ります。術中なので説明とかはないのだけれど、多分PSEを先にやったもよう。処置中に門脈圧を測ったり、その数値を確認していたりしてたから。これに関しては(この時点では)特に苦痛はなかったと思う。カテーテルはせわしなく移動させてたようだけど。

つぎに肝生検。普通に外部から(お腹の外側から)の肝生検をやったとき、特別苦痛はなかったので油断していたけどつらかった。まず、首に挿入したカテーテルを肝臓に届かせるまでがつらい。右脇腹の血管を通ったと思うけど、「メキメキメキメキ」って音が聞こえた気がするくらい痛かった。カテーテルが血管じゃないところを無理やりすすんでるような感覚。なんとか我慢して肝臓まで到達し、ようやく組織採取。ここでも肝臓に対する衝撃というか痛みというか不快感が普通のと比べ物にならなかった。肝臓にグサッ!「う…う、うへっ!」と声が漏れ、その後お腹に重いような痛いような不快感が広がっていく。それをもう一度繰り返した時に先生たちの会話。「何回とるんだっけ?」「普通は4回かな」…えーーー!これを後2回もやるの?駄目だ、もう我慢できないよ!耐えられない耐えられない。「でもさっき十分組織取れてたから十分だよ」。ひゃー、助かった!

そして再びCT室へ最後の確認。それが終わって血管造影室に戻ったら、ストレッチャーの上で血圧の確認になった。「血圧どう?」「***、低いです」(少し待ち)「今は?」「変わらないですね」と先生と看護師さんの会話。そしておもむろに話しかけてくる先生。「えーと、お腹の中で出血してるかもしれないので、今からお腹にちょっと穴あけますね」。内心(ぇっ…というかどんな穴?どのくらいの穴?どうやって開けるの?痛いの?)と思いつつ「分かりました」と答えるクールな患者。

再び先生達が動き出す。「えっと、エコー、もっと詳しく見えるのあるかな」「消内の外来にあったんで持って来ます」(待ち)「持って来ました」「H先生、やってみる?」「はい。(しばし待ち)…このへんですかね」「うん、じゃぁマジックでマークしといて」。ぉぅぉぅぉぅ…。とうとう穴を開けますか…。と、その時、ずっと血圧を測っていた看護師さんから嬉しいお言葉。「血圧上がりました。***です」「じゃあ大丈夫だね」。

ということで、無事PSE(と肝生検)が終了し、お腹に穴を開けずにも住みました。ところがこの血圧騒ぎの最中から、お腹が重く痛く気持ち悪くなってました。「お腹がすっごい痛いというか気持ち悪いんですけど、これってどのくらい続きますか?」「お腹のどっちがわ?」「うーん、全体的につらいです」「まぁ一晩くらいは続くと思うね」…ぬぁ。

この辛さは次第に強くなっていき、病室のベッドに戻っても増していき、かなりの長期間苦しむことになるのでした…。

ということで、第二の苦痛編に続く!!

再び静脈瘤破裂 第二の治療編

前回の続き。

静脈瘤の治療後、点滴も抜け食事も全粥になりました。さらに久しぶりのシャワーまで。さすがに高い部屋だけあって、トイレもシャワーもついてます。(…でもさ、重篤患者用にナースステーションから一番近いエリアの個室が一番充実してるってどうなんだろう。16,800円のこの個室にしばらくいたけど、シャワー使ったのは一度きりだし…)

そんなおり、担当のT先生が血液検査の結果を持って来ました。基本的に回復していってる状態なんですが、唯一危険な値が。それは血小板です。子供の頃から血小板が少ないと言われていたのに、肝硬変でさらに少なく。そしてこの時の結果が、たしか1.6万だったような。

血小板は正常基準にある程度の幅があるのですが、その下限が15~16万程度(病院によって異なる)。その下限の10分の1です。さらに、2万を下回っていると口の中や鼻、悪いと頭蓋内出血も起きうるそうです。それくらいまずい状態。この入院前は3~4万程度を保てていたのに、いきなりそんな事態に。

そしてT先生から新たな治療についてのお話を受けました。前に書いたこともあるんですが、PSE(部分的脾動脈塞栓術)です。これを行う目的は、門脈圧亢進症を軽減し静脈瘤の発生をなるべく抑えることと、同じく門脈圧亢進症による脾機能亢進症を抑えること(脾臓に必要以上に血液が流れ、そのせいで血小板が破壊されすぎるのを抑える)です。まぁこのへんの知識は先生からの説明を自分なりに理解して、あとネットで知った情報を混ぜてるので、素人が間違ったことを書いてるかもしれません。

いずれにしても、そのPSEをやることになりました。先生からの説明で、足の付根(鼠径部)または肘の内側の動脈からカテーテルを挿入することはわかりましたが、なにぶんはじめての経験なので、いろんな不安が頭のなかにうずまきます。(足の付根だったらしばらく動けないんだよな…)(また尿道カテーテルを入れるのかな…)(痛いのかな…意識はあるのかな…)(場所はどっちからだろう、肘ならいいのにな…)

その後、PSEを行う予定日に近づくにつれ、いくつかのことが決定し、細かな説明がありました。尿道カテーテルはやりません。点滴は当日の朝いれます。当日の朝昼は禁食だけど、夜には全粥の食事が出ます。場所は肘からです。ただし、ついでに肝臓の組織をPSEと同時に首の静脈からカテーテルをいれてとります。…えーーー!首の静脈って、この首にある太い静脈?腕とか足の付根ならわかるけど、こんな顔に近いところから入れるの!?と新たな不安が発生。

そして当日になりました。点滴を腕に入れてもらい、お呼びがかかるのを待っていると、看護師さんがお迎えに。ストレッチャーに移動し、まるで手術のように頭にビニール製っぽいキャップをかぶります。そして、点滴から安定剤を注入し、いざ現場へ。

PSEを行う部屋は、血管造影等を行う部屋を使うようでした(やったことないけど)。というかまぁ、同じようなことですもんね(多分)。そこはなかなかに広く、いろんな機材があったり、先生方が何人もいたりしました。そして中央にあるベッドにまたうつり、PSEの開始です。

長くなってきたのでPSEのことはまた次回…。

再び静脈瘤破裂 最初の治療編

前回の続き。

SBチューブを挿入されて朦朧としたまま、考えていたのは「早く治療してほしい…」ということだった。なので、意識が戻るといつも「まだ?」「いつごろやるって?」と聞いてばかり。結局治療が始まったのが、翌日の夕方だった。

意識が途切れ途切れのなか、気がついたらいつもEISをやる部屋だった。やたらと騒がしい中、ようやくSBチューブを抜いてもらい処置開始。気がついたのは病室だった。これは朦朧というより、EISやEVLをやるときに静脈に打たれる薬の影響だろう。そのおかげで処置中はまるで意識がなく、終わってもほとんど寝っぱなしになれる、ある意味とてもありがたいものだ。普段の生活で眠れないとき、あの薬打たれて泥のように眠りたい、なんて思うこともしばしば。

結局そのまま寝てしまい、翌日からはSBチューブもなくいろいろなモニタも次第に外れて、いつもの入院生活に近づいたかたちに。そんなころ、担当のT先生が説明に来てくれた。結局静脈瘤は胃の入り口あたりに出来ており、場所的にEVLが難しかったこと、EISを緊急でやるわけにはいかなかったこと等。そして今後の経過観察について。

この時点では退院のたの字もなかったけど、ほっとしていたせいか、また甘い考えが浮かんでいた。出血箇所の処置もできたし今後はいつものとおりだろう、前より状態は悪いだろうから期間は延びるだろうけど、退院は3週間~4週間後じゃないかな、なんて。その甘さはまた次回以降に書くとして…。

ここで、EISについて個人的な事情に触れておこう。まず、T先生が置いていったEISの報告書(?)みたいなものを読んでいって気がついたのだけど、やたらと医師の立ち会いが多かった。M先生やT先生、S先生に他の知らない先生、それと多くの研修医。これにはわけがあって、以前静脈瘤の予防治療で入院したとき(担当はM先生)、処置中に大暴れしたらしく、実際にEISを行った先生達にひどく迷惑をかけたことがあった。それをおぼえているM先生が、暴れても抑えられるだけの人数を集めたんだと思う。実際、EIS後にうっすらと腕に強く握られた跡が残っていた。

ちなみに「大暴れしたらしく」と書いたのは、記憶が当人にないから。M先生から「EISを担当してくれた先生が、寿命が縮んだって言ってた…」なんて聞かされたものだから、あとでその先生にお詫びしたら「え、おぼえてるの!?」「いえいえまったく記憶にないです」「そうだよね。そんな、全然気にしなくていいですよ、薬のせいだからね」、なんて。

まぁ余談はこれまで。その後はゆっくりながら回復していき、退院も時間の問題と思い始めた頃、また新たな苦痛の道に踏み込んでいくことになったのです。

そして第二の治療編に続く。

再び静脈瘤破裂 第一の苦痛編

前回の続き。

とうとう病室へ到着。先生たちは一度部屋を出た。

その後いろいろ準備を始めた看護士さん(主担当)に、もう一度さっきの質問をぶつけてみた。「SBチューブってつらいですか?」「…うーん、ちょっとつらいと思います」。せめてせめて、「中には平気な人もいますよ」くらいの希望が欲しかった…。

再びM先生と、担当医師になることになるT先生が戻り、いよいよSBチューブの挿入。まず鼻に太めのチューブを通す。そしてその中に細いチューブをかなりの長さ挿入し、吊り下げる?構造はいまいち分からないが、細いチューブが胃の中で膨らみそれを釣り上げて出血箇所を圧迫しているのか。何はともあれ、喉と鼻の穴の縁にかなりの圧力がかかりとてもつらい。

そのまま鼠径部に麻酔を打たれ、CV(中心静脈)に点滴。そして尿道カテーテルをされ、オムツ生活。胸には心電図か何かのセンサー、左手の指にサチュレーションモニタ、右腕には定期的に自動で計られる血圧計、ベッドの横には(自分では見えないけど)それらの情報のモニタが置かれていた。

その処置中、姉と母は別の場所でM先生から状態の説明と、今後治療に必要となる同意書を書いていた。あとで知ったのだけど、その中には「拘束についての同意書」もあったようだ。患者本人が暴れたりした場合手足を拘束しても良いですか、というもの。うーん、複雑な心境だ。

姉と母が部屋に戻った頃には身の回りのことは終わり、姉がナースコールをすぐ押せるように手元に置いてくれたとたん押す私。看護士さん「どうかしましたか?」姉と母「え?押してないですよ」「いや押したよ」。看護士さんがすぐ来てくれたので、つらさを訴える。「これ(SBチューブ)、かなりつらいんですけどなんとかなりませんか?」「いやぁ~、どうしようもないですね」「どうしようもない…」「じゃあ、少し楽にする薬があるんで、先生に使っていいか聞いてみますね」。ありがたい。

その後その薬を使ったのだけど、正直楽になったのかどうかわからないwその後は苦痛から逃避していたのか、悪い状況に陥ってしまったのか、苦しみつつ意識があまりはっきりしない状態になっていった。

翌日父や義理の兄が来てくれたようだが、正直ほとんど覚えていない。

ただし、はっきり覚えていることがひとつある。今回の入院はよほど状態が悪かったのか、ナースステーションにかなり近い個室にいれられ、1日の差額ベッド代は16,800円だった。ある意味当然だ。上記のようにいろいろモニタをつけられ、何かあればすぐ来れる場所でなければならないからだ。それを知った父が看護士さんに言ったこと。

「大部屋には移れないんですか?」

すぐさま母と姉に「まったく何言ってるの!こんな状況で大部屋なんか行けるわけないでしょ!」と総攻撃を受けていた。これが父の今回最高の迷言だ。

そして最初の治療編に続く。

再び静脈瘤破裂 入院編

2012年の4月25日、再び静脈瘤が破裂した。

その日は午後からなんだか気分が悪く、ちょっと仕事を早めに上がらせてもらった。家に帰ったのが18時頃。夕食は当然食べられず(あぁ、タケノコのフライだった…。結局この年は大好物のタケノコのフライが一度も食べられなかった)。

21時ごろまでなんとか耐えたものの一向に良くならず、「試しに吐いてみれば楽になるかも?」とわざと吐き気を催したら思いの外吐き気がして、そのままトイレへゴー。それが吐血でした。

大声で「血吐いた、入院だ」と言って両親を起こしたのだけど、その時の父の返事が(その場でも)笑えた。「血を吐いた」「誰が?」「いやいや」「どこから?」「…いやいやいや」。他にも父は入院後も迷言を残す。

病院に乗せて行ってもらおうと姉に電話するも繋がらず、とりあえずシャチョーに連絡する。「血吐いたんでこれから入院です」我ながら冷静極まる。

そこへなぜか叔父登場。「熱が39度から下がらねぇから薬もらいにきた。…どうしたんだ?」ここで事情説明。「普段ならいくらでも乗せてってやるけどなぁ…」薬を渡して叔父退場。

ようやく姉と連絡がつながったので病院に連絡し、姉+母と三人で病院へ。吐いてスッキリしたため軽口をたたく。「あれ血だよなぁ…。こんだけ大騒ぎして血じゃなかったりして…へへへ」「顔色明らかに悪いよ」と姉。

病院に到着後、診察→採血をし、しばらく待って登場したM先生。この先生にはちょくちょくお世話になってます。「いや~、なかなか元気な時に会えないね~」(だってM先生は主治医じゃないから、こういう時しか会わないでしょうに…)。そのまま内視鏡へ。

正直甘く見てました。去年くらいのことかな、と。内視鏡室でEVLやって、2~3週間経過見て退院かな~と。それが甘いと気付いたのは内視鏡室。M先生と若い先生とで胃を見ていると、途中でM先生の声が。「これ***じゃないじゃん!!だめだだめだ、撤退しよう撤退!」えっ…。そのまま否応なく消内病棟に運ばれていく私。道すがらM先生から説明を受ける。簡単に処置できる場所じゃなかった。処置するには準備が必要。とりあえずSBチューブで出血を止めます、とのこと。SBチューブ?

入院には慣れてるけれど、経験のないことはものすごく怖い。で、正直にM先生に聞いてみた。「それ(SBチューブ)ってつらいですか?」顔をちょっとしかめるM先生。「…ちょっとつらいね」うひゃあ、この反応って間違いなくつらいんだ!?

慄きながら病室へ運ばれていくのだった…。